human made of

おじさんもな、若いころは藤原基央になりたかったんだ

ロジカルシンキングは冷たい道具か

ロジカルシンキングという言葉、インターネット上だと、使われるシーンとして、

・ロジカルで嫌な男

・融通の利かない人間

・ロジカルに論破してやった/された

というものが多く、その攻撃性が言葉そのものの意味になってしまっているようで悲しい。

 

頭を捻って睡眠時間を削って書いた資料を、お客さんに「こんなのダメだ」と一蹴されることが社会人をやっているとどうしてもある。

やけ酒を飲みながら、(超ロジカルな)先輩に顛末を愚痴ると、彼らはいつも「相手は、どうしてダメっていってるの?」ということを一緒に考えてくれる。

頭も少し醒めてきたところで僕も考える。自分の思考の結果だけを伝えてしまっていなかったか?共有すべき前提事項を事前に説明できていたのか?今、伝えることだったのか、伝えるべき相手は適切だったのか?

 

結果に対する「何故(理由)」を大切にする。相手の言っている言葉(結論)の理由を考えるために、相手のことを想像して、その思考のプロセスを自分でトレースする。

これは相手に対する敬意がないと出来ない、優しい作業だと思うので、ロジカルシンキングという言葉が冷たくて嫌な奴の表現として使われる所を見ると、それはただの独りよがりな人でしょう、と言いたくなる。ロジックは、人と人とが歩み寄るために作られたもののはずなので。

 

今年、「悪人」と「嫌われ松子の一生」の2本の映画を見た。

両作品とも、主人公は殺人を犯していて、その「理由」を少しずつ解明していく作品です。人を評価するにあたっても、結果だけを見るんじゃなくて、しっかりとその人の「理由」を見ないと、正当な評価は出来ないよと思わせてくれる、よい作品でした。

嘘をついた恋人が、何故嘘をついたのか、考えてあげることもナイスロジカルシンキングだと思います。

 年末年始、もしお時間のある方がいればぜひ。

 

※「理由」の大切さを教えてくれる最高の1枚を添えて終わります。

 

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